人はきっとその生まれ年や、その後の後天的な経験によってその時代その時代をイメージする色があるように思う。
僕は、昭和33年生まれだが、戦前の昭和、大正、明治それぞれに時代をイメージする色が異なる。
明治時代は、灰色の256階調的なイメージが僕には有り、大正時代は総天然色、つまりカフルカラーのイメージ。
これは、明治という時代に対する僕のイメージが大政奉還後、明治政府となった訳だが、あまり生活感を感じ無い時代だからだろう。実に勝手なイメージです。
大正時代は日本にもモダニズムの時代が到来し、多少デカダンな匂いもイメージにある。銀座がモダニズムに中心で、現在の銀座に僅かに残るモダニズムの片鱗がフルカラーとなって僕の脳内を彩るのか。
昭和の戦前は、多少の色を感じる。大国の帝国主義の中で足掻く日本も帝国主義へと進むのだが、馴染んだ作家の作品が多少の色となって残像化しているのかもしれない。
戦中の日本は完全にモノクロの世界だ。何もかもが階調も無いモノクロの世界しか僕はイメージできない。これは戦争への嫌悪感がそうさせているのか。戦争そのもの実体験が無い特殊な時空間だからなのか。
戦後はやはりくすんだ赤茶色からフルカラーへと続く。見てきた世界はやはりカラーの時代だ。
しかし、明治の世にも戦中の時にも、庶民はしっかり生き続けてきた。グレーの256階調な訳もなく、ましてやモノクロの中で生活してきた訳ではない。
女性は、口紅を刺したり、綺麗なシルクのワンピース着たりして、抑圧されながらも青春を謳歌しようとしたし、人生を楽しむ努力をしたはずだ。
広島で原爆で亡くなった女性が身につけていた小物や衣服を専門に撮影した写真集を見たことがある。
モンペの下に可愛いワンピースを着ていた若い女性もいた。オシャレなビーズのバッグを持って被爆した中年の女性もいた。
そこには、確かに生活があり、人生があったのだ。
時代に対するそれぞれの色彩イメージは、時代を一絡げにしてしまう危険性がある。どんな時代でも庶民は生活を楽しもう、人生を精一杯生きようとした人たちが居た事を忘れてはならないと思う。